2015年6月26日金曜日

日本政府は吃音を勝手に障害者にしているという論調について一言

最近、2014年7月3日に国立障害者リハビリテーションセンター、発達障害情報・支援センターが
吃音が発達障害者支援法に定義されていると公開してから、『吃音は障害者じゃない』、『吃音は精神障害者じゃない。身体障害者だ』、『吃音者は他の頭のオカシイ精神障害者や発達障害者とは違うんだ』との論調が見受けられるようになりました。

さらには、日本政府が勝手に吃音を障害者にしようとしている。日本政府や厚生労働省や文部科学省が悪いことをしているとの論調も存在します。

しかし吃音は、国際的な診断基準である、ICD-10(WHO世界保健機関)と、DSM-5(アメリカ精神医学会)の2つが診断基準として説明しています。日本政府は現状として「ICD-10」を引用してそれを法的根拠として、日本国内の発達障害者支援法に反映させているのです。

ということはそもそも、日本政府を非難批判するのではなくて、WHOとアメリカ精神医学会に異議や意見を申し述べないといけないわけですね。この両者がこのように診断基準を作成しているということは世界中で「言葉をうまく話せなくて苦労している人いる」ということが逆に理解できると思います。



■さて、記事の冒頭に書いた
『吃音は障害者じゃない』
『吃音は精神障害者じゃない。身体障害者だ』
『吃音者は他の頭のオカシイ精神障害者や発達障害者とは違うんだ』

この論調は本当に危険です。
吃音者は逆に世界中の社会的障壁がある人を差別していることにはならないのでしょうか?
本当に心から心配です。
もしも障害者扱いされることで不利なことやデメリットがあるのであれば、それこそ社会的障壁がある人達の団体が同盟をして、世界が変化するように動けばいいのではないか? と考えるわけです。世界が社会の常識が変化すれば社会モデルと言われるものに一歩でも近づけば、誰もが皆、暮らしやすい世の中になるはずなのです。

吃音者は今、立ち上がるべきです。
そしてご自身が経験した辛いこと悲しいこと嫌なこと、人生の機会損失、本当はやりたいことがあった。こんな苦悩を次世代に吃音者として生まれてくるかもしれない子供達に経験させるわけにはいかないのです。今の世代の吃音者は正直痛みを伴う変化が待っているかもしれません。しかしそれでも、今現在に世の中が変化するように動かないと、次世代の後輩達に「なんで先輩達はちゃんと社会を変えようとしなかったの?」なんて質問されてしまうかもしれません。

吃音者が自分で選択して360度全方位に歩むことができる社会になりますように―。

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