2015年12月22日火曜日

毎日新聞2015年12月6日吃音新聞記事に反響の声 吃音 | 働きたいのに 電話対応で叱責、リストラ 「身体障害」申請却下 仙台の男性、「実情知って」法廷へ


12月6日の毎日新聞東京朝刊の記事はこれだ。
現在では会員でないと読めない状態になっているのでコチラを
http://stutteringperson.blogspot.jp/2015/12/whoicd-10icd-11.html


さて、Twitterからの引用である。
12月6日の吃音裁判の件 読者からの反響の声という形である。

読者の声はコチラ
http://mainichi.jp/articles/20151221/ddm/005/070/026000c

 「吃音(きつおん)差別の現状を知らせたい」と仙台市の男性が裁判所に提訴しました。この男性は電話応対を叱責されるなどして仕事を失います。保険金を妻子に残そうと自殺まで考えたそうです。6日朝刊の記事を読んだ読者から反響が届きました。
 「吃音の記事を見たのは初めて……ありがたい。書き続けてほしい」。男性読者はとつとつと話を続けます。
 「食堂で注文するのは食べたいものより発音しやすいもの」「駅の窓口では、目的地より遠いけれど発音しやすい駅までの切符を買ったこともある」
 吃音は精神障害とされ身体障害のような雇用支援制度がありません。仙台市の男性は身体障害者手帳交付申請が却下されましたが、吃音者を勇気づけるメールも届きました。
 「人ごととは思えません」という差出人は吃音の息子を持つ兵庫県の女性。「周囲の尽力もあり息子は身体障害者手帳を交付されました。他にも何人かいると聞いています」(東京本社愛読者センター次長・阿部善男)=毎週月曜日に掲載



「小川 一」氏 
毎日新聞社取締役・総合メディア戦略、デジタル担当です。1981年入社。社会部に18年間在籍し、社会部長、編集編成局長を務めました。ソーシャルメディアとマスメディアの協働を追求していきます。ここではひとりの記者に戻ってつぶやきます。




さて、 読者の声であるが……。
やはり、一部の吃音者特有の思想なのか?
一部の吃音者独特の優生学があるのかもしれない。

2014年7月3日に国立障害者リハビリテーションセンターの発達障害情報・支援センターが吃音を発達障害と発表する以前は、吃音者優生学によると

「そもそも吃音は障害者ではない。吃音があっても堂々と吃りながら仕事をしている先輩がいるから見習え。結婚もできるし子どももできる。障害者手帳は必要ない。国の世話になるなんて恥だ。(他の障害者のように)ああはなりたくない。吃音のある子どもは障害者じゃないですから安心してください。お父さん!お母さん!」という意見がありましたね。

7月3日以降は、これがちょっと変節して

「吃音が発達障害者だと!!しかも精神障害者保健福祉手帳の対象だと!!!とんでもない。吃音者は頭のオカシイ発達障害者や精神障害者じゃない。犯罪を起こして無罪になるような連中とは違うんだ。吃音者は障害者だとしても身体障害者だ!頭は正常だ!!」という意見がチラホラ出てくるようになりましたね。吃音障害者認定反対原理主義者だと、いつも通りの純粋に吃音者は障害者ではないという意見で、ある意味信念があると思います。

吃音は精神障害とされ身体障害のような雇用支援制度がありません。仙台市の男性は身体障害者手帳交付申請が却下されましたが、吃音者を勇気づけるメールも届きました。

記事中のこれは間違いですね。
精神障害者でも発達障害者でも、雇用支援制度はちゃんと存在します。
ちゃんと毎日新聞社さんが取材して吃音者に伝えるべきだと思います。
こうやって、吃音者は自分は頭は正常だとか、精神障害者保健福祉手帳なんて恥だとか、発達障害者と言われるのは嫌だ!という誤解が出てくるのかもしれません。


確かに精神障害者保健福祉手帳は2年更新制の手帳のため、障害者雇用されるとしても正社員登用は限りなく困難、出世コースには入れないかもしれない、昇給や賃金面で不利かもしれない。また厚生年金を支払う前に初診日が存在すれば障害者年金は国民年金の2級からしかないので、収入が厳しいかもしれません。厚生年金を支払っている時に初診日が存在すれば厚生年金の障害年金3級が使える。しかし吃音者は一般的に言われる発達障害者よりも障害がバレやすい。発話した瞬間吃音だと発覚するので、厚生年金を納める前に病院に行っていることが大多数です。


でも、それって、吃音者だけがそう感じているわけでもないような気もします。他の社会的障壁のある人だって、同じ悩みがあるかもしれません。ということは、その他の社会的障壁や障害のある人と同じ団体に入るなどして協力して日本社会を変化させていけばいいのではないか?と思います。


そもそも吃音者の深い闇、巨大な闇によって、2013年に北海道で吃音看護師で自殺してしまいましたよね。でもこの吃音看護師自殺って本当は避けられたことなんですよね。

◆北海道の吃音看護師自殺は避けられた
http://kitsuonkenkyuguideline.blogspot.jp/2015/11/2013.html

◆なぜなら吃音者の派閥抗争、思想の違いによって2005年の発達障害者支援法が見落とされ、知っていた人は僅かに存在したが、教えようとしなかったから
http://kitsuonkenkyuguideline.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html


2014年7月3日国リハにより、突如として吃音は発達障害であると告知されましたが。
まずは、現在使える法律を使って、明日を生きたいが本当は死にたい辛いという人が助かる社会にしないといけないのではないでしょうか?何か問題が発生することや、不利なことがあればその他の吃音以外の人たちと協力して世の中を変えていけばいいのではないでしょうか?ただ、世の中を変化させるには0と1、オンとオフ、白と黒のようにはっきりとは変化しませんよね。
段階がありますよね。スタート地点からゴールにいきなりワープできるわけはありませんよね…。

最初から吃音は身体障害者だ!発達障害や精神障害と言われるのは嫌だ!という態度でいるのは、逆にその人達を差別しているようにも思えます……。

吃音者ってなぜ、こうも障害者と言われることに抵抗があるのでしょうか?
そして吃音者の障害者認定絶対反対原理主義者がいるのでしょうか?
とても不思議なことです。何が正解なのでしょうか?

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